藤堂高虎とキャリア、リーダーシップを考える

リーダーシップ

私のプロフィールには、尊敬する歴史上の人物として、『藤堂高虎』をあげています。戦国武将としては、ご存知ない方も多いかもわかりません。

 

藤堂高虎については、「裏切り者」という評価をされる方もいらっしゃいます。幕末、戊辰戦争の折、津藩、藤堂家が幕府を裏切ったのが、幕府軍の敗戦につながり、その際に、「高虎以来、寝返りの家風」といった風評があったとかなかったとか。

 

幕末はさておき、ここでは藤堂高虎について、なぜ私が尊敬しているのかという点について、お伝えしたいと思います。

 

私は歴史学者ではありませんので、すべてノンフィクションに基づき書いているわけではないことを了承いただいた上で、お読みください。

 

まず。藤堂高虎は生涯の中で7回、仕える主君を変えたと言われています。

 

ある方は、藤堂高虎にならって7回転職せよといった書籍を書かれていたりします。私が尊敬している理由は、歴史小説に取り上げられる戦国武将たちと比較して、とても人間臭い武将であるというところに魅了されました。

 

7回変えたといっても、はっきりとした史実が残っていない、10~20代にかけては、想像ではありますが、俺はこれだけ出来るのに上司は評価してくれないといった理由で君主を変えている節があります。

 

年齢を重ね、何人かの君主に仕えることで多くのことを学び、自身のスキルも身に着けていく(キャリアアップ)過程は、現代人も見習うところはたくさんあると思います。藤堂高虎は、2つの顔を持つ武将としても有名です。1つは、猛将であったこと。戦国乱世では引く手あまたのスキルです。もう1つは、築城名人であったこと。

 

秀吉から命を受け伏見城に関わったり、江戸幕府の命を受け江戸城大修理の縄張りをしたり、その他20城以上に関わったとされています。誰から命を受けたかということを見ても、相当腕利きの築城スキルを持っていたことが想像できます。

 

戦国時代から江戸時代にかけて、武闘派とよばれた武将たちの多くは、戦がなくなり没落していきました。藤堂高虎は、外様大名でありながら、徳川家康に重宝され、秀忠、家光と徳川三代にわたり、信頼は揺らぐことはなかったといわれています。

 

晩年、高虎はほぼ失明状態であったにも関わらず、江戸城に呼ばれることも多く、高虎のために江戸城を、今で言うバリアフリー仕様にしたという話も残っています。

 

リーダーシップというポイントから藤堂高虎を見ると、理想の上司であった羽柴秀長(秀吉の弟)と出会い、仕えたことが大きなターニングポイントでした。これまで短期間に主人を変えてきた高虎ですが、秀長が亡くなるまで約15年もの間、仕えました。築城スキルもこの時に学んだと言われています。

 

歴史に「たら・れば」は禁句ですが、もし秀長がもう少し長く生きていれば、豊臣政権が続いたのではないかという人がたくさんいるのも事実です。

 

高虎は、秀長から多くのことを学び、リーダーとはどうあるべきかを学んだのではないでしょうか。秀吉の時代、多くの武将たちが、秀長の所に相談に来たと言われています。うまく周りを巻込む力があった証拠ではないでしょうか。

 

私が提唱している「インボルブメントリーダーシップ」を研究する上でも、秀長、高虎といった武将は大変参考になると考えています。

 

藤堂高虎を尊敬する理由、やはり、現代にも通用する生き方を示してくれているということに尽きるのではないでしょうか。

 

若い頃は高虎のように、若気の至りで転職することもあるでしょう。良き指導者に巡り合うためには、失敗を経験しないと巡り合えないということを示してくれているような気がするのです。

 

良き指導者に巡り合ったら、そこでは、何があっても主人に尽くす、高虎の信頼はこの時に作られていったと想像します。秀長のところには、有名な武将たちが足を運びました。側近として高虎が同席していたとしたら、そこで人脈も構築できたことでしょう。

 

戦国の世を生き抜き、高虎の体には、多くの刀傷があったとも言われています。最後は将軍に頼られる存在でありながら、戦場ではなく、布団の上で亡くなる。この時代を生きた武将の中では、真っ先に大河ドラマにすべき武将だと考えている人は私だけではないはずです。

 

いつか、大河ドラマで「藤堂高虎」を鑑賞できる日がくることを期待したいと思います。

筆者の思いとしては、中井貴一さんか、唐沢寿明さんに高虎を演じてもらうことができたら最高です。

 

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